山村洋装ロゴ

山村洋装

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目立たないこと

建築家・村野藤吾氏が、日本建築を設計するときに心に留めていた言葉に、「泉岡語録」というものがあるそうです。
その中に、こんな言葉があります。

外からは小さく低く、内に這入る程広く、高くすること。
人の目につかぬところ、人に気付かれぬところ程仕事を大切にして金をかけること。
腕の良さを見せようとするな、技を殺せ。

以前、この言葉を読んだときから、なぜかずっと心に残っています。
正確に覚えていたわけではありません。
でも、「技術があるなら、それを見せるべきだ」という考え方とは、ずいぶん違うことを言っているように感じました。

技術を見せるのではなく、技術を使って、見せない。
手間をかけるのなら、その手間を誇るのではなく、目に見えないところに使う。
外から見たときには控えめでも、その中に入ってみると、思っていた以上の豊かさがある。

僕は、こういう考え方が好きです。
そして、そういうものを考えていくと、自然と茶室のことを思い出します。

山村洋装のロゴは、茶道の四畳半茶室の間取りを図案化したものです。
僕が茶道や華道を教えている家庭で育ったことも、茶室をモチーフにした理由のひとつだと思います。
でも、それ以上に、茶室という空間そのものに、僕がものづくりで大切にしたいものがあるように感じています。
茶室には、華美なものがありません。
小さな入口から入り、外に刀を置いて、茶室の中へ入る。
武士であっても、茶室の中では刀を持たない。
それまでの身分や立場をいったん外に置いて、ひとつの空間を共有する。

そこには、茶室という小さな空間だからこそ生まれる、独特の平等性があります。
そして、茶室は決して「何もしていない」空間ではありません。
そこには、寸法や素材、光の入り方、道具の置き方など、たくさんの人の手間と考えが込められています。
でも、それを「こんなに手間をかけています」とは言わない。
むしろ、手間をかけたことが見えなくなったときに、その仕事は完成するのかもしれません。

千利休の言葉に、
「家は漏らぬほど、食事は飢えぬほどにてたる事なり」
というものがあります。

家は雨が漏らなければいい。
食事は飢えなければいい。
一見すると、とても簡素な考え方です。

でも、僕には「何を足すか」ではなく、「何が本当に必要なのか」を考える言葉のように思えます。
服も、そうなのではないでしょうか。
高価な素材を使うこと。
難しい技術を使うこと。
たくさんの手間をかけること。
もちろん、それぞれに意味はあります。

でも、それらを使ったこと自体が目的になってしまうと、少し違う気がします。
大切なのは、その技術や手間が、着る人にとって必要なものになっているかどうか。
つくり手の「すごいでしょう」が前に出るのではなく、着る人にとって自然にそこにあること。

千利休には、
「叶うはよし、叶いたがるは悪しし」
という言葉もあります。

「こうしたい」という、つくり手の欲を前に出すのではなく、必要なものが必要なかたちで「叶う」。
僕は、服もそんな存在であってほしいと思っています。
着たときに、服の技術を意識する必要はない。
縫製の細かさを知らなくてもいい。
どれだけ時間がかかったのかを知らなくてもいい。
ただ、着ていて心地よく、身体に馴染み、その人の暮らしの中に自然に存在している。
それでいいのだと思います。

だから、山村洋装のロゴも、できるだけ目立たない場所に縫い付けています。
四畳半の茶室を小さな図案にして、服の中にそっと置いておく。
ロゴそのものを見せたいわけではありません。
そこに込めた考え方を、僕自身が忘れないためでもあります。

技術を見せるのではなく、技術を使う。
手間を誇るのではなく、必要なところに手間をかける。
華美にするのではなく、必要なものを残す。
外からは小さくても、中に入れば豊かである。
そして、つくり手の「こうしたい」ではなく、着る人にとって「これでいい」と思えるものをつくる。
茶室の小さな間取りをかたちにしたロゴには、そんな僕のものづくりへの考え方を込めています。

目立たないこと。
でも、そこにあること。
僕にとっては、そのくらいがちょうどいいと思っています。

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