「つくる」を、つくる
ぼくは、「つくる」という言葉を、意識的に使い分けています。
それは、自分自身に対しても、人に教えるときも同じです。
ひとつは、「買えばいい」という、「消費者」として当たり前にすら思える前提にあらがうこと。
これは、資本主義そのものへの小さな戦いでもあります。
たとえ、結果的に「買う」という選択をしたとしても、その前に「まず自分で考え、工夫してみる」こと。
ぼくは、そういう人を「つくる人」と定義していて、習慣として大切だと思うし、究極的には、世の中のすべての人が、「つくる人」であるべきだと思っています。
もうひとつは、「新しくつくるモノは、これまでよりも、より良いモノにする」ということ。
こっちは、どちらかといえば、その分野を専門とする「つくる人」、「つくり手」の世界の話です。
この二つ「つくる人」は、別のことのようですが、実は根っこのところでつながっていて、その「つながり」こそが、大切なんだと思います。
ぼくは、日本のモノつくりで最も欠けているのは、「『つくる』ことへの尊重」だと思っています。
その「つくる」の担い手である「つくり手」を育てるには、「経済」はとても大事な要素だけど、経済が先ではなく、「経済」より先に「尊重」があるべきです。「買えばいい」、が前提の社会では「つくり手」が尊重されず、育たない。
で、「つくり手」が育たないと、結果としてその分野自体が、気がつくと、すっかり衰退してしまっている、という危険な状況にさえなりうる。
そういった悪循環に陥いらないためには、「消費者」が、「つくる人」としての「理解者」に変わっていく必要があります。
その多数の「理解者」に向けた働きかけと、少数の「つくり手」や、「つくり手」を目指す人たちへのアプローチを、同時に進めること。
それが、その分野を育てるために大切なことだと思います。
「つくる」ことを、少数の「つくり手」の、「意欲」や「やる気」だけに頼るのは、根本的な無理があります。
だからこそ、ぼくたちはもう一度、「つくる」という定義そのものを、つくり直す必要があるのではないか、と思います。
「つくる」を、つくる
2025年11月08日
