服は「財産」? -服を所有することの豊かさとは何か-
先日、着物の継承について投稿したところ、こんなコメントをいただきました。 貯金箱を画像をAIにつくってもらいました
「着尺や羽尺のまま残しているおうちも多いですよね。反物は財産だったし、そのまま子どもに受け継いでいけると思っていたから。」
この「財産」という言葉が、ずっと気になっています。
着物を売って生活費の足しにした、という話は戦後の出来事として耳にしたことがあります。でも改めて「財産」という言葉を当てはめてみると、今の服づくりや着物業界について、ちがった見方ができるように思いました。
現在、服飾の分野で経済的な意味で「財産」と呼べそうなものを考えると、ぼくが思い浮かべるのは一部のジーンズやスニーカーくらいです。高級バッグの中には中古市場で価値が上がるものもありますが、それも限られた例でしょう。
着物も同じです。歴史的価値を持つものや著名な作家の作品などは別として、多くの着物が資産価値を持つわけではありません。
この視点から考えると、二つのテーマが見えてきます。
ひとつは、着物が「財産」であることを前提として成立した産業構造が、今もなお大きくは変わっていないのではないか、ということ。
もうひとつは、着物が再び「財産」と呼ばれる存在になれるのか、そしてそれはどのような条件で可能になるのか、ということです。
一般に、人は「財産になる」と考えるものには高い金額を支払うことができます。反対に、消耗品と考えるものには、そこまでの金額を許容しません。
良いものをつくろうとすれば、どうしても手間がかかります。そして手間は価格に反映されます。価格が確保できれば、さらに時間や技術を投入することもできます。その意味では、高価格であること自体に一定の合理性があります。
売り手にとっても、自分たちが扱うものを「財産」と考えてもらえればありがたいでしょう。そのほうが高い価値を認めてもらいやすいからです。
一方で、つくり手も時代の変化に合わせて変わらなければなりません。効率化できる部分は効率化する努力が必要です。ただし、手仕事の世界では工業製品のような急激な生産性向上は期待できません。
ここでの問題は、社会全体ではすでに「着物は財産である」という前提が崩れているにもかかわらず、業界の仕組みや価値観の一部が、その前提を引きずったままになっていることではないでしょうか。
もちろん、すべての着物が再び財産になるとは思いません。数が多すぎますし、時代も変わっています。
でも、一部のヴィンテージジーンズやスニーカーのように、価値を持つものが生まれる可能性はあるでしょう。ただ、そのために過去の成功体験をなぞるだけでは不十分です。むしろ、高級ブランドやヴィンテージ市場がどのように価値を育てているのかを参考にしたほうが現実的かもしれません。
もっとも、ここで言う「財産」は経済的価値だけを意味するものではありません。
たとえ市場価格がつかなくても、自分が持っているものを大切な財産だと思えることには意味があります。思い出や愛着、長い時間をともに過ごした経験は、数字では測れない価値だからです。
そう考えると、「財産」という言葉そのものを見直してみてもよいのかもしれません。
経済的な価値を持つものだけを財産と呼ぶのではなく、自分の人生を豊かにしてくれるもの、自分にとって大切な意味を持つものもまた、別の形の財産と考えられるのではないでしょうか。
服や着物を所有することの豊かさとは何か。
そんなことを考えさせられた出来事でした。
2026年7月13日
