1.1%
「日本国内における衣服の国内生産自給率は、数量ベースで1.1%まで低下している」という話は時々耳にします。 1.1%
この数字をどう捉えるべきかは簡単ではありません。1.1%といっても、もしかして、実際の生産量としては、まだ多いのかもしれません。
それでも、服づくりに関わる者として、この現象は問題だと感じています。
食料自給率の低下であれば、将来の世代の生命に直接関わるかもしれません。でも、服の自給率が下がったからといって、人の命が脅かされることはありません。
それでも問題だと思うのは、「つくる」という行為そのものの継承や発展が難しくなってしまうからです。
一方で、この話題になるたびにちょっと複雑な気持ちにもなります。
国内生産の減少を嘆く人の中にも、その現象を支えている消費行動をしている人がいるからです。
もちろん、それはボク自身も同じです。最近まとめ買いしたTシャツはベトナム製でした。
どこかに黒幕がいるわけではありません。というよりも、この問題には簡単な正解がないのだと思います。
だからこそ、遠回りでも一度「つくる」という行為そのものを見つめ直す必要があるのではないでしょうか。
ボクが考えるひとつの答えは、「皆がつくる人になる」「皆がつくる人でいる」ということです。
これは、全ての人が洋服を縫えるようになるべきだ、という話ではありません。
実際に自分では作れなくても、そのモノがどのような工程を経て生まれるのかを想像できること。そこに込められた時間や手間を理解できること。
そういう人が増えることが大切なのだと思います。
衣服の国内生産が減っている背景には、海外で作った方が安く作れるという経済的な理由があります。だから経済の仕組みを変える必要もあるでしょう。
でも、その前に変わるべきものが、人々の意識ではないかと思います。
「知ることから始まる」という言葉があります。
その先を実現することは簡単ではありませんが、それでも最初の一歩としては確かに正しい言葉です。
ボクが言う「皆がつくる人になる」とは、多くの人がモノづくりの理解者になる社会のことです。
文化や技術の発展には、優れた職人やプロフェッショナルの存在が欠かせません。しかし、それと同じくらい、多くの理解者の存在も欠かせません。
モノづくりの多くは、手の記憶によって支えられています。それは決して効率的なものではありません。
だからこそ、その価値を共有するために、「皆がつくる人になる」「皆がつくる人でいる」ことが大切なのだと思います。
2026年9月22日
