「上手くできる」は良いことだけど
写真のジャケットは、ボクが以前につくったものです。 「上手くできる」は良いことだけど
これから大規模なリメイクをするので、久しぶりの里帰り。確実に20年以上は経っているはずですが、資料も残っていなくて、いつ頃つくったものだったかの記憶は曖昧です。
こうして過去の自分の作品を見返して思うのは、「縫う技術は、この頃のほうが上手かったかもしれない」ということです。
デザインの良し悪しは、時代が違えば単純には比較できません。でも、縫製技術は少し違います。求められることは比較的はっきりしていて、時代によって大きく変わるものでもありません。
そう考えると、今のボクは何かを失ったのかもしれません。
「老いぼれたのでは?」と言われれば、反論できない気もします。ただ、そのことをあまり気にしていない自分もいます。
ボクは学生の頃から、比較的縫うことが得意でした。でも、「上手く縫えるね」と褒められて嬉しかった記憶はあまりありません。
それはたぶん、ボクの服づくりの立場と関係しています。
一般的なアパレルでは、デザインをする人、パターンを引く人、縫う人が分かれています。でもボクは、考えることから設計、縫製まで、ひとつの流れとして向き合ってきました。
縫製だけを追求すれば、もっと上手な人はたくさんいます。
だからこそ、自分がその部分だけにこだわり過ぎると、別の何かを見失ってしまう気がしています。
大切なのは、全体のバランス。
服づくりは長く続けてきましたが、その背景で求めているものは、昔と今ではずいぶん変わりました。
社会人になり、オートクチュールの技術に触れた頃は、縫製技術に最も強い関心を持っていたと思います。目にするものすべてが新鮮で、技術そのものに魅了されていました。
でも、その技術を自分のデザインに取り入れようとすると、思うような結果にならないことがありました。
時間はかかるのに、その技術の良さを十分に活かせない。縫うことに意識を向け過ぎると、全体を見る視点が弱くなってしまう。
少なくとも当時のボクは、そう感じていました。
そういった経験から、技術そのものよりも、全体の調和やバランスを優先するようになりました。
そして。
ボクは昔から、「技術を向上させること」以上に、「技術を発見すること」に興味があります。
こんな作り方はできる?
この方法だと、望んだ形になる?
そんなことを考えながら、今まで知らなかった作り方を試すのが好きでした。その嗜好は一貫しています。
もちろん、上手くできることは大切です。技術を磨き続ける人は素晴らしいと思います。
でも、何を優先するかは、人それぞれですし、その時々の状況によっても変わります。
だからこそ、「自分にとって何が大切なのか」を考え続けることが大事なのだと思います。
さて、文章を書いていて、ずいぶんと時間が経ってまってけど、そろそろリメイクを始めようかな。というかこれ、なかなか難しい課題。
2026年9月17日
