「良質」と、誰が決めるの?
最近、ボクのSNS投稿に、こんなコメントがありました。
「良質な洋服が経年とともに益々その存在感が増すものだなあと実感しています」と。
ある服を長く着た結果、それが「存在感が増す」のか、それとも「いらない服」になるのかは、その服や、人や時代などによって異なり、確実な未来の予測はできませんが、少なくとも、過去から現在においては、ある程度の法則はあり、そこには品質が、深く関わってきます。
「良質」な服が、必ずしも新しいデザインである必要はありません。
「新しい」というより、「より良い」「正しい」デザイン、と言ったほうが近いかもしれません。
「素材の良さ」については、一般的に「長い繊維で織られた生地は良質」などの法則はありますが、例外もたくさんあります。
「つくりの良さ」をはっきり言葉にするのは難しいけれど、実際に、「これ、よく考えられてるな」と感じる服と、そうでない服があるのは確かで、ボクは、その違いの一つが「ちゃんと完結しているかどうか」だと思っています。
日本には「金継ぎ」という修理の方法があります。割れたり欠けたりした器を、漆と金で直す技法です。キズを隠すのではなく、あえて見せて価値にする考え方ですが、逆に、「最初に『金継ぎ』との相性を考えて、陶磁器をつくる」という考え方もでき、この「あとで直すことを前提にしてつくる」という発想が、洋服にも必要なんじゃないかと思っています。
今のところ、時間がたつほど価値が上がりやすい服は、ジーンズや革の服など、限られています。でも、これは価値観の問題でもあり、デザインの工夫によって、その範囲を広げることは可能だと思います。
また、手間をたくさんかければ、良質な服になるのかというと、そう単純でもありません。
問題なのは手間の「量」ではなく「質」です。
ただ、手間をかければかけるほど、説得性を増す分野もあります。全面に刺繍を施したジャケットは、襟の一部に刺繍を施したジャケットよりも、良質だと思われがちです。細かな手縫いも同様です。
一方で、「良質」は高価格につながりやすく、それが必ずしも着る人の望みと一致するとは限りません。どこまでの手間をかけて、どこまで品質を高めるべきかは、いつも悩ましい問題です。
だからといって、「着る人が望む良質に、つくる人が応えれば、それで良いのか」と問われれば、それは違います。
そこに、つくり手のエゴイズムが混ざっているかもしれませんが、「良質」には「つくる人の想い」が不可欠だと考えています。
未来の良質は、つくる段階である程度コントロールできます、つくる人は、未来の良質をより高めるように努めるべきだと想います。
目先の要望だけに応え続けてしまうと、品質のデフレ・スパイラルに陥り、結果として良質な洋服が世の中から姿を消し、つくり続けること自体が危うくなります。
「良質」かどうかを、誰が決めるのかと問われれば、「着る人が決める」とも、「つくる人が決める」ともいえます。時間がたって初めて分かる、という意味では、「時代が決める」ともいえます。
でも、もしかしたら、誰かが「決める」のではなく、時間の経過の中で、自然に「決まる」ことなのかもしれません。
「良質」と、誰が決めるの?
2026年1月14日
