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大学で教えていました


このことに、ボクはふたつの意味を込めました。

ひとつは「過去形」であること、もうひとつは「大学」であることです。

2026年度の講師を続けないことにしました。その結論に至るきっかけや、理由はいくつかあるのですが、いちばん大きいのは「東京圏にいることを約束できない」、ということです。今は、年間の制約を受けたくない。そして、レポート点検と成績入力で、今年度の仕事が終わったので、「教えています」ではなく、「教えていました」、つまり過去形です。
学生と出会うことは、毎年ほんとうに楽しくて、このことには感謝の気持ちしかないのですが、いっぽうで、自分が大学という場所でできることの限界も、少しずつ感じるようになっていました。なので多分、よいタイミングだったのだと思います。


そもそもボクは、学校という場所が根本的に苦手だし 😅。

これは多くの人にとって、どうでもよい違いかもしれませんが、ボクが教えていたのは専門学校ではなく大学です。
「文化服装学院の先生」と言われることもありますが、これは間違いです。
正しくは「文化学園大学」で、この「どうでもよい違いかも」は、日本の服飾教育の成り立ちと関係しているんじゃないか、と思っています。


日本における服づくりの教育は、「洋裁学校」という存在を、源流として辿ることができます。
そこは、注文服を仕立てる人を育てたり、主に主婦が、家庭で洋服を縫えるようになることが目的の、いわゆるアカデミックな学びとはかなり違う場所でした。「日本の服飾教育は、大学ではなく専門学校が育ててきた」ともいえます。
専門学校が先にできて、大学が後にできた、その影響は、良くも悪くも、今も残っています。
この両者は、服作りの方法論は同じだけど、大学と専門学校では立ち位置が違う。


そういう歴史があるなかで、たまたま、大学と関わるようになったボクが考えはじめたことが、「大学での服作りの学びとは、何だろう」という問いでした。
で、今の時点でのその答えは、ちょっと抽象的ですけど、「大学での服作りは、言葉を持つべきだ」ということです。
ただ、この答えに対して、何かができたわけではなく、そこが心残りではあります。

縫い方を学ぶだけなら、今なら「動画を観ていればよい」と思います。
また、内容だけを考えれば、ボクが個人的に教えたほうがよい、と思うし、学校でなくても成立する学びはたくさんあります・・・というか、自分で学校をつくりたい。
でも、学校に人が集まります。

そこには「学歴」や「単位」という仕組みがあることが重要で、それらは、ある種の「人質」の役割を果たしています。
いっぽう、学校と関わってきて感じたのは、「学歴や単位って、みずからのお尻を叩いてくれる存在でもある」ということです。

だからこそ続けられて、卒業までたどり着ける学生も、一定数いるはずです。

学校って、家族のような機能を果たしてます。だから、出身校を「母校」と呼ぶのだと思います。
以前、妹にこの話をしたところ、「じゃあ、お父さんはどこにいるん?」と突っ込まれてしまいましたが、「学校≒家族」という捉え方は間違ってはいないと思います。

時代とともに、個人が学ぶ方法は増えましたが、この機能を置きかえる存在を、ボクは知りません。
だからボクは、単純な「学校はいらない」という考えには、いまのところ賛成ではありません。

「やり残した感」もあるにはあるのですが、「大学で教えていました」といえる時間を持てたこと自体、自分にとってもよい学びの時間でしたし、かけがいのない経験だったので、いずれ機会があれば、どこかの飲み屋ででも、「大学で教えていました」と、知らない誰かにドヤ顔で話してみようかと思います。

というかそもそも、久しく飲み屋なんて行ってないなあ 😅。

 レポート点検

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2026年2月16日