使い切ること、つくり続けること
先日、実家へ帰ったときに、祖母が生前に着ていた着物を譲り受けました。 祖母が生前に着ていた着物
祖母が亡くなってからずいぶんと長い年月が経っていますが、それでも、それなりの数の着物が残されていました。
これは単に、一つの家庭の出来事です。でも、ぼくにはこの光景が、現代社会の「在庫過多」を象徴しているように感じられました。着物だけではありません。家具も、食器も、家でさえも、ぼくたちは多くのモノを抱えながら暮らしています。
本来、モノは使い切られるためにつくられます。でも実際には、使い切られないまま次の世代へ引き継がれたり、行き場を失ったりすることも少なくありません。
着物であれば、子や孫の世代がそのまま着ることができれば、それが最も自然な継承の形でしょう。でも実際には、そのようなケースは決して多くありません。さらに、着物のリメイクは決して簡単ではなく、それが活用を難しくする一因にもなっています。
ぼくが着物に限らずリメイクに積極的に取り組む理由の一つに、「生地を生み出す技術を継承し、発展させたい」という思いがあります。
使われないモノを作り続けることはできません。技術を継承し、発展させるためには、人々がそのモノを使い続けることが必要です。
もちろん、ぼく自身が着物の生地を織ることはありません。ただ、古い生地を活用し、その価値を見直す機会を増やすことで、人々が生地を使い続ける環境をつくることはできます。そして、その先には新たな生地を生み出す人たちの仕事があります。
「技術を継承・発展させるために人々が使い続ける」のか、それとも「人々が使い続けることで技術が継承・発展する」のか。結果として見える景色は同じかもしれません。でも、ぼくは前者の順番を大切にしています。
なぜなら、技術の継承や発展を意識することで、これから生み出されるモノがより良くなっていくと考えているからです。
もちろん、すべての人が同じ考えとは限りません。同じモノが売れ続けるのであれば、改善は不要だという考え方もあるでしょう。
それでも、ぼくは自分がつくるモノを少しでも良くしたいと思っています。それは、つくり手の個人的なエゴなのかもしれません。でも、本当に人の心を動かすモノには、つくり手自身の強い思いやこだわりが必ず込められていると思います。
そして、そのためには社会全体の「尊重」が欠かせません。
尊重と経済は深く結び付いています。効率化が難しい手仕事に対して、工業製品と同じ感覚でコストダウンを求めることは、経済的な問題であると同時に、つくることへの尊重が不足している状態でもあります。
ぼくは、経済が先にあるのではなく、尊重が先にあり、その結果として経済が成り立つのだと考えています。
また、「つくることへの尊重」を、つくり手個人の努力だけで獲得しようとしても限界があります。それは社会全体で考えるべき課題です。そして、尊重のある社会こそが、技術の継承と発展を支える土台になるのだと思います。
今あるモノは最後まで使い切る。そして、新たにつくるモノは、より良いモノを目指す。
使い切ることと、つくり続けること。この二つは対立するものではありません。最後まで使い切ることを前提に、新たな価値を生み出し、次の世代へつないでいく。そのために必要なのが、つくることへの尊重であり、技術の継承と発展です。
使い切られたモノの先に、より良いモノが生まれる。その連鎖が続くことで、世の中は少しずつ豊かになり、人々の暮らしもまた、幸福にむかっていくのではないでしょうか。
2026年7月12日
